オイルショック 1973年、中東情勢が不安定になり、国際的に石油の価格が高騰して、日本経済も打撃を受けた。これがオイルショックである。オイルショックは1979年にも発生し、日本の景気は一気に低迷し、経済成長率は、オイルショックでマイナスに転じた。こうして戦後の高度経済成長は終わった。しかし、日本は間も無くこの不況から脱け出し、その後5%前後の経済成長を続ける安定成長期に入る。
バブル景気 安定成長期の終わり頃にあたる1980年代後半には大都市圏で地価が極端に高騰し、株価も急上昇する。これがいわゆるバブル景気である。バブル景気は消費の過熱をもたらし、独特の文化も登場する。バブル経済が崩壊するのは1991年のことで、その後日本は平成不況と呼ばれる時代に入り、オイルショック以降の安定成長期もこれによって終わる。
昭和から平成へ このバブル景気の中、昭和天皇(1926-89)が崩御し、日本は昭和から平成へと時代を移す。この時期は世界的に見れば、冷戦終結の時期で、アメリカ一極体制が強まっていった。平成の不況では、貧富の差が大きくなり、格差社会となる。社会では、若者で仕事をしないニートや、アルバイトを中心に生活するフリーター、家がなくネットカフェで生活するネットカフェ難民などが問題になる。また学校では、いじめ問題や、学校に行かない「引きこもり」なども問題になり、このような社会問題を扱ったドラマや小説も登場し、インターネット独特の文化なども生まれる。
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新興宗教 1995年には、新興宗教のオウム真理教が「地下鉄サリン事件」を起こした。これはオウム真理教の信者が、東京の地下鉄でサリンという神経ガスをまいて12人が死亡し、5000人以上がけがをした事件だ。世界初の毒ガステロ事件として、日本社会に大きな衝撃を与えた。
少子化 オイルショックはまた、日本の人口構造が変化するきっかけであった。1973年は第二次ベビーブームと呼ばれているが、その後オイルショックなどの景気の低迷によって、出生率は低下を続け、1997(平成9)年には日本政府から日本が少子化社会となったと発表されている(『平成16年版少子化社会白書』より)。
結婚観の変化 戦後の高度経済成長以降、男性は外で働き、女性は家を守って専業主婦になる家庭が多かった。この時期、日本の企業文化は、終身雇用制と年功序列が特徴である。しかし、1972(昭和47)年に「男女雇用機会均等法」が制定され、次第に女性の社会進出が進み、日本人のライフスタイルや結婚観も変化した。女性の高学歴化や独立が進み、経済力をつけてくると、独身生活を長く送る女性が増える。女性の結婚観の変化は「クロワッサン症候群」(1988)、「結婚しないかもしれない症候群」(1990)、「負け犬」(2004)、「婚活」(2009)などの流行語が象徴している。
テレビ中心 昭和初期、主なメディアはラジオや映画だったが、安定成長期以降はテレビが中心となってくる。このため、多くの文化がテレビを中心に展開した。日本のテレビ放送開始は1953年だが、1970
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年代後半にはカラーテレビの普及率がほぼ100%に達しており、安定成長期には日本のほとんどの家庭がテレビを所有していたのだ。オイルショックからバブル崩壊までの18年間は、昭和文化が爛熟した時期で、特にドラマ、漫画、アニメなどは日本国内だけではなく、アジアを中心に世界各国に輸出されていった。
メディアの多様化 しかし、次第にパソコンや携帯電話が普及し、それに伴ってインターネットの使用者も増加した。日本のインターネット普及は、台湾や韓国、アメリカなどに比べて遅めだが、2004年には約8割の日本人がインターネットを利用するほど普及した。また、この他に個人用のゲーム機などが流行し、テレビ離れが進んだ。昭和から平成にかけてはメディアが多様化した時代だと言えるだろう。
日本映画の復興 戦後、日本の国産映画は文化の中心の一つだったが、1960年代を頂点に、その後は凋落した。1970年代には、五大映画会社(角川、松竹、東映、東宝、日活)が制作する映画の割合が次第に減少し、日本映画は冬の時代を迎える。日本映画が再び活気を取り戻すのは、バブル崩壊後の1994(平成6)年以降で、この年映画館数が再び増加し始める。これは、漫画、アニメ、コンピュータゲームなどと連動した作品が増えたことや、テレビドラマの続編として映画が制作されるなど、メディアミックスの動きが盛んになったためだ。1990年代後半に入ると、約40年ぶりに日本映画の国際映画祭での活躍が見られ、「日本映画のルネッサンス」とも呼ばれる。1997年、カンヌ映画祭では今村昌平(1926-2006)監督の『うなぎ』がグランプリを受賞し、ヴェネチア映画祭では北野武(1947-)監督の作品『HANA-BI』が金獅子賞を受賞した。日本製のホラー映画も国際的に高く評価され、『呪怨』などがハリウッドでリメイクされた。
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主流の文学 文学は、1968年に川端康成(1899-1972)が日本人として初めてノーベル文学賞を受賞した。川端康成の代表作には『伊豆の踊り子』(1927)、『雪国』(1937)などがある。2人目の日本人ノーベル文学賞受賞者は大江健三郎(1935-)で、受賞したのは1994年である。大江の作品では、『死者の奢り』(1957)、『個人的な体験』(1964)などが代表的である。また、芥川賞や直木賞なども継続しているが、受賞者の若年化が顕著になりつつある。村上春樹(1949-)、吉本ばなな(1964-)などは軽い文体で若者に絶大な人気を得て、その作品は海外でも翻訳されている。
ライトノベルの流行 1980年代からは、小説に漫画の表現が取り入れられるようになり、十代の青少年をターゲットにした小説が登場する。これが1990年代後半にはライトノベルと通称されるようになる。小説の娯楽性が強まり、SFやファンタジー、推理小説など人気が出ればアニメ化やゲーム化された。代表的なものには、谷川流(1970-)の「涼宮ハルヒ」シリーズがある。小説をゲーム、アニメ、ドラマなど他のメディアで展開し人気を拡大する手法はメディアミックスと呼ばれ、多くの作品で応用される。また、桜庭一樹(1971-)や有川浩(1972-)のように、ライトノベルの作家が純文学作家として見直される動きもあり、純文学とライトノベルの境は極めて曖昧なものとなりつつある。
新しい文学媒体 メディアの変化は文学にも及んだ。特に携帯小説は2007年をピークに若者の間で流行した。紙の書籍の市場が縮小する中、今後はこうした新しい形の文学がさらに発展するだろう。
歩行者天国の出現 安定成長期、日本では多くの人が自分は中流だ
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と考える意識——「一億総中流意識」が広がった。こうして社会にゆとりが生まれると、若者も経済的な余裕ができ、独自の若者文化を形成していった。その代表が不良少年を中心として形成されたヤンキー文化で、その先駆けが「歩行者天国」(ホコ天)の実施だ。
若者が集る街秋葉原では、1970年代初頭から各地で週末などに自動車の進入を禁止したエリア「歩行者天国」の実施を始めた。そこには様々なパフォーマンスをする若者が集った。その代表的なものは1979-84年まで話題となった「竹の子族」だ。竹の子族の多くは中学生から高校生で、グループでディスコ音楽に合わせて踊った。最盛期には2000人余りが一緒に踊っていたという。
ヤンキーの出現 集団で行動するのはヤンキーの特徴の一つだが、その一つに暴走族がある。オートバイが高価な1950年代、集団でオートバイに乗る「雷族」と呼ばれるグループはいたが、少数だった。だが、安定成長期、オートバイが安価になると、オートバイに乗って集団で暴走する危険な行為をするグループが多く出現した。これが「暴走族」だ。暴走そのものは違法行為だが、暴走族や不良少年たちから生まれたファッション、彼らをテーマにした漫画や映画などが多く現れ、ジャンルを形成していった(表1参照)。
| 暴走もの | 吉田聡『湘南爆走族』(1982) |
|---|---|
| しげの秀一『頭文字D』(1995) | |
| 応援団もの | どおくまん『嗚呼!花の応援団』(1975) |
| 学園もの | 梶原一騎原作ながやす巧作画『愛と誠』(1973) |
| きうちかずひろ『ビー・バップ・ハイスクール』(1983) |
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