第十六章 安定成長期あんていせいちょうきからバブル、そして平成へいせい

第一節 時代じだいなが

(一)社会しゃかい状況じょうきょう

オイルショック 1973ねん中東ちゅうとう情勢じょうせい不安定ふあんていになり、国際的こくさいてき石油せきゆ価格かかく高騰こうとうして、日本経済にほんけいざい打撃だげきけた。これがオイルショックである。オイルショックは1979ねんにも発生はっせいし、日本にほん景気けいき一気いっき低迷ていめいし、経済成長率けいざいせいちょうりつは、オイルショックでマイナスにてんじた。こうして戦後せんご高度経済成長こうどけいざいせいちょうわった。しかし、日本にほんくこの不況ふきょうからし、その5%前後ぜんご経済成長けいざいせいちょうつづける安定成長期あんていせいちょうきはいる。

バブル景気けいき 安定成長期あんていせいちょうきわりごろにあたる1980年代後半ねんだいこうはんには大都市圏だいとしけん地価ちか極端きょくたん高騰こうとうし、株価かぶか急上昇きゅうじょうしょうする。これがいわゆるバブル景気けいきである。バブル景気けいき消費しょうひ過熱かねつをもたらし、独特どくとく文化ぶんか登場とうじょうする。バブル経済けいざい崩壊ほうかいするのは1991ねんのことで、そののち日本にほん平成不況へいせいふきょうばれる時代じだいはいり、オイルショック以降いこう安定成長期あんていせいちょうきもこれによってわる。

昭和しょうわから平成へいせい このバブル景気けいきなか昭和天皇しょうわてんのう(1926-89)が崩御ほうぎょし、日本にほん昭和しょうわから平成へいせいへと時代じだいうつす。この時期じき世界的せかいてきれば、冷戦終結れいせんしゅうけつ時期じきで、アメリカ一極体制いっきょくたいせいつよまっていった。平成へいせい不況ふきょうでは、貧富ひんぷおおきくなり、格差社会かくさしゃかいとなる。社会しゃかいでは、若者わかもの仕事しごとをしないニートや、アルバイトを中心ちゅうしん生活せいかつするフリーター、いえがなくネットカフェで生活せいかつするネットカフェ難民なんみんなどが問題もんだいになる。また学校がっこうでは、いじめ問題もんだいや、学校がっこうかない「きこもり」なども問題もんだいになり、このような社会問題しゃかいもんだいあつかったドラマや小説しょうせつ登場とうじょうし、インターネット独特どくとく文化ぶんかなどもまれる。

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学習がくしゅうポイント

  1. オイルショック以降いこうのメディアの変化へんか
  2. バブル景気けいき文化ぶんか
  3. ヤンキー文化ぶんか、ミーハー文化ぶんか、キャラクター文化ぶんかなどの特徴とくちょう
  4. メディアミックス

新興宗教しんこうしゅうきょう 1995ねんには、新興宗教しんこうしゅうきょうのオウム真理教しんりきょうが「地下鉄ちかてつサリン事件じけん」をこした。これはオウム真理教しんりきょう信者しんじゃが、東京とうきょう地下鉄ちかてつでサリンという神経しんけいガスをまいて12にん死亡しぼうし、5000人以上にんいじょうがけがをした事件じけんだ。世界初せかいはつどくガステロ事件じけんとして、日本社会にほんしゃかいおおきな衝撃しょうげきあたえた。

(二)ライフスタイルの変化へんか

少子化しょうしか オイルショックはまた、日本にほん人口構造じんこうこうぞう変化へんかするきっかけであった。1973ねん第二次だいにじベビーブームとばれているが、そのオイルショックなどの景気けいき低迷ていめいによって、出生率しゅっせいりつ低下ていかつづけ、1997(平成へいせい9)ねんには日本政府にほんせいふから日本にほん少子化社会しょうしかしゃかいとなったと発表はっぴょうされている(『平成へいせい16ねんばん少子化社会白書しょうしかしゃかいはくしょ』より)。

結婚観けっこんかん変化へんか 戦後せんご高度経済成長こうどけいざいせいちょう以降いこう男性だんせいそとはたらき、女性じょせいいえまもって専業主婦せんぎょうしゅふになる家庭かていおおかった。この時期じき日本にほん企業きぎょう文化ぶんかは、終身雇用制しゅうしんこようせい年功序列ねんこうじょれつ特徴とくちょうである。しかし、1972(昭和しょうわ47)ねんに「男女雇用機会均等法だんじょこようきかいきんとうほう」が制定せいていされ、次第しだい女性じょせい社会進出しゃかいしんしゅつすすみ、日本人にほんじんのライフスタイルや結婚観けっこんかん変化へんかした。女性じょせい高学歴化こうがくれきか独立どくりつすすみ、経済力けいざいりょくをつけてくると、独身どくしん生活せいかつながおく女性じょせいえる。女性じょせい結婚観けっこんかん変化へんかは「クロワッサン症候群しょうこうぐん」(1988)、「結婚けっこんしないかもしれない症候群しょうこうぐん」(1990)、「いぬ」(2004)、「婚活こんかつ」(2009)などの流行語りゅうこうご象徴しょうちょうしている。

(三)メディアの変化へんか

テレビ中心ちゅうしん 昭和初期しょうわしょきおもなメディアはラジオや映画えいがだったが、安定成長期あんていせいちょうき以降いこうはテレビが中心ちゅうしんとなってくる。このため、おおくの文化ぶんかがテレビを中心ちゅうしん展開てんかいした。日本にほんのテレビ放送ほうそう開始かいしは1953ねんだが、1970

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年代後半ねんだいこうはんにはカラーテレビの普及率ふきゅうりつがほぼ100%にたっしており、安定成長期あんていせいちょうきには日本にほんのほとんどの家庭かていがテレビを所有しょゆうしていたのだ。オイルショックからバブル崩壊ほうかいまでの18年間ねんかんは、昭和しょうわ文化ぶんか爛熟らんじゅくした時期じきで、とくにドラマ、漫画まんが、アニメなどは日本国内にほんこくないだけではなく、アジアを中心ちゅうしん世界各国せかいかっこく輸出ゆしゅつされていった。

メディアの多様化たようか しかし、次第しだいにパソコンや携帯電話けいたいでんわ普及ふきゅうし、それにともなってインターネットの使用者しようしゃ増加ぞうかした。日本にほんのインターネット普及ふきゅうは、台湾たいわん韓国かんこく、アメリカなどにくらべておそめだが、2004ねんにはやく8わり日本人にほんじんがインターネットを利用りようするほど普及ふきゅうした。また、このほか個人こじんようのゲームなどが流行りゅうこうし、テレビばなれがすすんだ。昭和しょうわから平成へいせいにかけてはメディアが多様化たようかした時代じだいだとえるだろう。

第二節 映画えいが文学ぶんがく

(一)映画えいがなが

日本映画にほんえいが復興ふっこう 戦後せんご日本にほん国産映画こくさんえいが文化ぶんか中心ちゅうしんひとつだったが、1960年代ねんだい頂点ちょうてんに、その凋落ちょうらくした。1970年代ねんだいには、五大映画会社ごだいえいががいしゃ角川かどかわ松竹しょうちく東映とうえい東宝とうほう日活にっかつ)が制作せいさくする映画えいが割合わりあい次第しだい減少げんしょうし、日本映画にほんえいがふゆ時代じだいむかえる。日本映画にほんえいがふたた活気かっきもどすのは、バブル崩壊後ほうかいごの1994(平成へいせい6)年以降ねんいこうで、このねん映画館数えいがかんすうふたた増加ぞうかはじめる。これは、漫画まんが、アニメ、コンピュータゲームなどと連動れんどうした作品さくひんえたことや、テレビドラマの続編ぞくへんとして映画えいが制作せいさくされるなど、メディアミックスのうごきがさかんになったためだ。1990年代後半ねんだいこうはんはいると、やく40ねんぶりに日本映画にほんえいが国際映画祭こくさいえいがさいでの活躍かつやくられ、「日本映画にほんえいがのルネッサンス」ともばれる。1997ねん、カンヌ映画祭えいがさいでは今村昌平いまむらしょうへい(1926-2006)監督かんとくの『うなぎ』がグランプリを受賞じゅしょうし、ヴェネチア映画祭えいがさいでは北野武きたのたけし(1947-)監督かんとく作品さくひん『HANA-BI』が金獅子賞きんじしょう受賞じゅしょうした。日本製にほんせいのホラー映画えいが国際的こくさいてきたか評価ひょうかされ、『呪怨じゅおん』などがハリウッドでリメイクされた。

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(二)文学ぶんがくうご

主流しゅりゅう文学ぶんがく 文学ぶんがくは、1968ねん川端康成かわばたやすなり(1899-1972)が日本人にほんじんとしてはじめてノーベル文学賞ぶんがくしょう受賞じゅしょうした。川端康成かわばたやすなり代表作だいひょうさくには『伊豆いずおど』(1927)、『雪国ゆきぐに』(1937)などがある。2人目にんめ日本人にほんじんノーベル文学賞ぶんがくしょう受賞者じゅしょうしゃ大江健三郎おおえけんざぶろう(1935-)で、受賞じゅしょうしたのは1994ねんである。大江おおえ作品さくひんでは、『死者ししゃおごり』(1957)、『個人的こじんてき体験たいけん』(1964)などが代表的だいひょうてきである。また、芥川賞あくたがわしょう直木賞なおきしょうなども継続けいぞくしているが、受賞者じゅしょうしゃ若年化じゃくねんか顕著けんちょになりつつある。村上春樹むらかみはるき(1949-)、吉本よしもとばなな(1964-)などはかる文体ぶんたい若者わかもの絶大ぜつだい人気にんきて、その作品さくひん海外かいがいでも翻訳ほんやくされている。

ライトノベルの流行りゅうこう 1980年代ねんだいからは、小説しょうせつ漫画まんが表現ひょうげんれられるようになり、十代じゅうだい青少年せいしょうねんをターゲットにした小説しょうせつ登場とうじょうする。これが1990年代後半ねんだいこうはんにはライトノベルと通称つうしょうされるようになる。小説しょうせつ娯楽性ごらくせいつよまり、SFやファンタジー、推理小説すいりしょうせつなど人気にんきればアニメやゲームされた。代表的だいひょうてきなものには、谷川流たにがわながる(1970-)の「涼宮すずみやハルヒ」シリーズがある。小説しょうせつをゲーム、アニメ、ドラマなどほかのメディアで展開てんかい人気にんき拡大かくだいする手法しゅほうはメディアミックスとばれ、おおくの作品さくひん応用おうようされる。また、桜庭一樹さくらばかずき(1971-)や有川浩ありかわひろ(1972-)のように、ライトノベルの作家さっか純文学じゅんぶんがく作家さっかとして見直みなおされるうごきもあり、純文学じゅんぶんがくとライトノベルのさかいきわめて曖昧あいまいなものとなりつつある。

あたらしい文学媒体ぶんがくばいたい メディアの変化へんか文学ぶんがくにもおよんだ。とく携帯小説けいたいしょうせつは2007ねんをピークに若者わかものあいだ流行りゅうこうした。かみ書籍しょせき市場しじょう縮小しゅくしょうするなか今後こんごはこうしたあたらしいかたち文学ぶんがくがさらに発展はってんするだろう。

第三節 若者文化わかものぶんかまち若者わかものたち

(一)時代背景じだいはいけい

歩行者天国ほこうしゃてんごく出現しゅつげん 安定成長期あんていせいちょうき日本にほんではおおくのひと自分じぶん中流ちゅうりゅう

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かんがえる意識いしき——「一億総中流意識いちおくそうちゅうりゅういしき」がひろがった。こうして社会しゃかいにゆとりがまれると、若者わかもの経済的けいざいてき余裕よゆうができ、独自どくじ若者文化わかものぶんか形成けいせいしていった。その代表だいひょう不良少年ふりょうしょうねん中心ちゅうしんとして形成けいせいされたヤンキー文化ぶんかで、その先駆さきがけが「歩行者天国ほこうしゃてんごく」(ホコ天)の実施じっしだ。

若者わかものあつまち秋葉原あきはばらでは、1970年代初頭ねんだいしょとうから各地かくち週末しゅうまつなどに自動車じどうしゃ進入しんにゅう禁止きんししたエリア「歩行者天国ほこうしゃてんごく」の実施じっしはじめた。そこには様々さまざまなパフォーマンスをする若者わかものあつった。その代表的だいひょうてきなものは1979-84ねんまで話題わだいとなった「たけ子族こぞく」だ。たけ子族こぞくおおくは中学生ちゅうがくせいから高校生こうこうせいで、グループでディスコ音楽おんがくわせておどった。最盛期さいせいきには2000人余にんあまりが一緒いっしょおどっていたという。

(二)ヤンキー文化ぶんか

ヤンキーの出現しゅつげん 集団しゅうだん行動こうどうするのはヤンキーの特徴とくちょうひとつだが、そのひとつに暴走族ぼうそうぞくがある。オートバイが高価こうかな1950年代ねんだい集団しゅうだんでオートバイにる「雷族らいぞく」とばれるグループはいたが、少数しょうすうだった。だが、安定成長期あんていせいちょうき、オートバイが安価あんかになると、オートバイにって集団しゅうだん暴走ぼうそうする危険きけん行為こういをするグループがおお出現しゅつげんした。これが「暴走族ぼうそうぞく」だ。暴走ぼうそうそのものは違法行為いほうこういだが、暴走族ぼうそうぞく不良少年ふりょうしょうねんたちからまれたファッション、かれらをテーマにした漫画まんが映画えいがなどがおおあらわれ、ジャンルを形成けいせいしていった(表1参照さんしょう)。

表1 ヤンキー関連かんれん諸作品しょさくひん
暴走ぼうそうもの 吉田聡よしださとし湘南爆走族しょうなんばくそうぞく』(1982)
しげの秀一しゅういち頭文字イニシャルD』(1995)
応援団おうえんだんもの どおくまん『嗚呼ああはな応援団おうえんだん』(1975)
学園がくえんもの 梶原一騎かじわらいっき原作げんさくながやすたくみ作画さくがあいまこと』(1973)
きうちかずひろ『ビー・バップ・ハイスクール』(1983)

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